「国技? 柔道と剣道」 その違い。
どこかで覗いたテレビで「東建」の柔道着が柔道をしていた。
直感した。
「警察の給料では 柔道選手としての 身体を維持できるだけの給料が貰えない。だから民間に移るのだ。」と聞かされた実話。
「国技? 柔道と剣道」 その違い。
あの頃「お金(給料)が分かれ道だ」と聞いたのは本当だった。
私・大河原宗平は 警察で 剣道を習っていた。
柔道場・柔道選手とは いつも隣り合わせだった。柔道選手ともいろいろと話した。
大きな違いは「体格」だった。
その柔道選手は「警察では 大きな身体を維持するだけのお金(給料)が貰えない。だから民間企業からの誘いに乗るしかない。だけど 民間(企業)に行っても 選手から落ちたらお払い箱だ(「捨てられる」の意味)。
それより警察に残って 安定した給料を貰うことを選ぼうか迷っている。大きな身体になってしまい「階級も上げられず」に 選手から抜けたら 行く末は「交番所だ」。
大きな身体で交番勤務をしたら (狭い交番の2階には)仮眠する場所もない。世間からは「潰れた柔道選手」と見られるのは明々白々。みじめだ。
その選手は 一時的に大金が手に入る民間(企業)の広告塔として 警察を去って行った。
あの頃の実話を目の当たりにしたのが どこかで覗いた 今日のテレビだった。
その柔道選手の腕に「刺繍された企業名」。
幼少時から 祖父母・両親の過大な「夢(期待)」を背負わされて「選手」になって成功した人がどれほど居るのだろうか?
「2020年 東京五輪だ」とか「ワールド何とかだ」と 大きな「夢」を託された若い選手。その末の人生が案じられる。
「世界チャンピョン」という 「大きな夢」に あまり期待をかけては駄目だ。
私・大河原宗平は「剣道」競技生活で その大きな競争に付いて行けなかった。
というより 「最初からその競争に人生がかけられない」と早々に認識して逃げた者だ。
今の剣道選手は「警察官・刑務官・教員」などの公務員が多い。剣道選手だって沢山のお金がかかるだろうが よく我慢していると感心する。
何か「裏金」があるのだろうか?
そういえば 古い話になるが 昭和58年に群馬県で開催された「群馬国体」で群馬県の武道館が新築された。
群馬県剣道連盟では「剣道場に置く防具棚などを寄付しよう」との名目で 段位に応じた寄付を募った。私も1万5000円程の寄付をした。
「てっきり 剣道場に寄付されたもの」と思っていた。
ところが その数年先に 「その寄付は届いていない」との風評が持ち上がった。
私にもその情報が届いた。
考えてみた。県予算で建築される武道館の一部に「寄付の建築物が設置される余地はない」と分かった。
やはり あの時の「段位に応じた寄付(金)はどこかに消されたに違いない」 と考えが変わった。
お金で人生が変わる この汚い精神。「国技も国策もない」。
国技と言えば 「相撲」もある。
テレビ画面いっぱいに映る 「企業名が入った 浴衣」が邪魔している光景をいたる所のテレビで見る。
「国技の裏」に有るのは 「汚いお金の存在だけ(私感)だ」った~