日航機事故で一躍有名になった 群馬県の上野村というところに住む NPO理事長などの経歴を持つ伊藤誠一さんという方が「教育の在り方」について真剣に考えています。そのお考えの当たりだけ手に入れましたので以下のとおり紹介してみます。では、どうぞお読みください。
〈住む・学ぶ・働く〉の統合拠点を上信地区(上野村)に創りたい
今、新しい学びを生み出さなければ、日本は沈む
IT技術の急速な発展で、今後20年間で現在ある職業の50%はなくなるという説がある。50%という数字が正しいかどうかは分からないが、急激な変化が起きることは間違いがないだろう。
この急激な変化に教育も対応しなければならない。しかし教育分野はもっとも変化に対する追従が遅れがちなのである。
社会の急激な変化に見事に対応した国があった。フィンランドである。
1991年、ソビエト連邦が崩壊した。自由主義経済圏の一員であるフィンランドは、政治・経済体制は違ったが、隣国であるソ連に対する貿易依存度率は30%以上であった。それが1/3に急減速した。
これは、国の経済の1/3が輸出関連事業と言うフィンランドにとってとんでもない出来事だった。日本の輸出関連事業の10~16%と比べ、いかに大きいか想像ができる。
さて、この国難とも言える出来事に対して、フィンランド政府がもっとも力を入れた政策は、経済へのてこ入れではなく、教育改革であった。その指揮を執ったのは、当時29歳の教育大臣であった。
その詳細に触れる紙面はないが、概要を述べると、教育目標を(発想力・論理力・表現力・批判的思考力・コミュニケーション力)の強化としたのだ。
その後10年を経て、フィンランドの学習到達度調査(PISA)はOECDのトップになった。豊かな想像力が生み出した製品は多々あるが、その一つノキアは世界一の携帯メーカーになっている。
10年ほど前、津田梅子が学んだブリンマーカレッジを訪ね、図書館学の教授と話したことがある。ここは現在もアメリカ東部にある名門女子大学、セブンシスターズの一つである。彼は、ここでは学生の批判的思考スキルの開発を重視している、と話してくれた。学生たちの読書量も多いという。
ドイツの15、6歳の学生が参加した講演会を見た。講演後ほとんどの学生が質問の手を挙げる。なぜかと聞くと、当時もっともすぐれた憲法であったワイマール憲法下で、ナチス政権を生み出してしまったことに対する反省から、「学生たちが自分で考える能力と、それを他者の前で発言できる能力を養うこと」を教育目標にしているからという答えがあった。
どこでも、教わり、覚え、暗記するのではなく、「批判的思考力」が重視されていた。
日本語に置き換えれば、「ゆとり教育」なのである。残念ながら「ゆとり教育」は、その本来の意味で日本社会に伝わらなかった。また、教育委員会や教師たちも、ゆとり教育の本来の意味を租借できなかったといえる。そして「ゆとり教育」の目標を掲げる旗は、降ろされてしまった。
当時、文部省で「ゆとり教育政策」の旗頭だった寺脇 研さんは、前川喜平さんとの共著「これからの日本、これからの教育(筑摩書房)」の中で、「小渕恵三総理大臣」のエピソードとして、次のように書いている。
「君らがやろうとしている、ゆとり教育は、ものすごい逆風にさらされるだろう。従来の考え方からすると、なかなか納得がいかないんだよ。学力が下がったと言われるだろうし、自由・自律とか、ゆとりを持たせるとか言ったら、わがまま勝于な人間が育ってしまって、それこそ、『個あって、公なし』だと言われてしまうだろう。」
「けれど私は、総理の仕事として、個と公は両立し得る。『個あってこそ公』ということを、教育改革国民会議をとおして示していく。中身のほうは、お前たちでやってくれ。私はお前たちをサポートする。これが、あるべき官邸主導ではないだろうか」と。
急死した小渕総理に代わった、森総理や続く宰相は、いずれも小渕氏ほどの才はなかった。
世界の教育先進国では、「ゆとり教育」→「自らの学び」に向かって、教育が大きく進歩している。
もう40年近く昔のエピソードだが、旅先のクリーブランドの空港で、二十歳ほどのドイツ娘と、フライト待ちの数時間、話しをしたことがあった。彼女に「大学生か」と尋ねると、大学入学資格(アビトゥア)を取得して、ドイツ系移民の伯父の農場でしばらく働くために訪ねる旅、だという。当時私はこの制度を知らなかったので、詳しく教えてもらった。「自分は、大学で何を学ぶかまだ明確でない。基本的には国際政治学を学びたいのだが、そのテーマが抽象的だ。第二次世界大戦中、ドイツ系移民は日本人移民ほどではないが、アメリカ社会で不当な扱いを受けた。伯父の農場で働きながら、ドイツ系移民や周囲のアメリカ人から、実際の体験談を聞いて、大学で学ぶテーマを具体化するために来たのだ。」と話してくれた。
驚いた。当時も、目的がないまま大学へ進学する日本人学生が多い一方、アビトゥア取得後、「社会で学んで、学ぶ目的を定めてから、大学へ行く。」このドイツの制度の柔軟性は、目から鱗の話だった。
最近調べ直すと、アビトゥア取得者で、すぐに大学に入学する者は少数派であるという。まさにドイツには「ゆとり教育」があるのだ。
【上野村に〈住む・学ぶ・働く〉の統合拠点を創りたい】
一度「ゆとり教育」を引っ込めた文科省が、ゆとり教育をすぐに復活させることはしないだろう。が、今こそ「学生たちが自ら考えることを待つゆとり教育」が必要なのである。
一般の高等学校がやらないのなら通信制高校がやればいい。現在、隣村の南牧村に今年N高等学校(通信制高校・カドカワグループ企業)の実践校が出来る計画がある。こことリンクして〈住む・学ぶ・働く〉の統合拠点を上野村に作りたいと考える。
上野村はIターン者にとって入村しやすい環境がる。神流川揚水発電所の建設工事の関係で整備された宿泊施設が遊休化してたくさんある。ひかり回線が整備され、低価格で村内どこからでも利用できる。都内からの交通アクセスも時間・費用共に良いのである。このインフラを活用して、生涯学習型のインターネットシステムのハブを上野村に創設したい。日本人のインターネットリテラシーは、表層にとどまっている。もっと深いリテラシーを習得するには、インキュベータ(大学のゼミ、あるいはワークショップの様な学びの場)の連鎖を構築する必要があると考える。各インキュベータは10人から15人で構成する。各インキュベータには、ファシリテーターとアドバイザーを配置する。様々なテーマのインキュベータを生みだし、相互が有機的に繋がる。まるで小さな発酵瓶でないと芳醇な黒酢が醸せないように、である(詳細は別途)。
現在、京都造形芸術大学教授の教授である寺脇 研さんもこの構想にたいへん興味を持っている。ある大手の広告代理店が、この構想に興味を示している。人材育成やリクルートの仕組みとして、興味があるという。同様にカドカワグループも強い関心を示している。
この5年間で徳島県には若手IT技術者が400人も移住したという。徳島県には、1979年、ワープロソフト「一太郎」の株式会社ジャストシステムが起業している。
インターネット環境があれば、いまやITラボはどこでも始められる。
課題はそのITラボで「何をするか」なのである。 2018/05/25 文責 伊藤誠一
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