上野村に〈住む・学ぶ・働く〉の統合拠点を創りたい 


自立した学びを始めなければ日本は沈む

IT技術の急速な発展で、今後20年間で現在ある職業の50%はなくなるという。

50%という値の当否はともかく、急激な変化が起きることは間違いがない。この急激な変化に教育も対応しなければならない。

しかし教育分野は、フィードバック構造が脆弱で、変化に対する対応力が低いのである。

 

ところが社会の急激な変化に、教育を対応させた国がある。フィンランドである。

1991年ソビエト連邦が崩壊した。フィンランドの対ソ貿易依存度率は30%以上であったが、1/3に急減速した。同国の経済は35%が輸出関連事業であった。日本の輸出関連事業の1016%と比べ、いかに大きいかがわかる。

この経済危機に、フィンランド政府がもっとも力を入れた政策は教育改革であった。その指揮を執ったのは、当時27歳のヘイノネン教育大臣特別顧問であった。その後彼は、1994年~99年まで教育大臣を努めている。彼は、「教育はいわば投資です。これは国の競争力に関する問題なのです」と語り、フィンランド国民は失業に苦しみながらも、賛同したのだ。

これは幕末に長岡藩の小林虎三郎が行った政策「米百俵」に似ている。戊辰戦争に破れ、領地の6割を失った長岡藩に、枝藩から贈られた百俵の米を売って、藩校を建て、長崎への留学資金にも充てたのだ。貧しさに苦しむ藩士から小林は非難されるが、「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば、明日の一万・百万俵となる」と自説を貫いたのだ。

ヘイノネンは教育目標を(発想力・論理力・表現力・批判的思考力・コミュニケーション力)の強化とした。その後10年を経てフィンランドの学習到達度調査(PISA)は、OECDのトップになった。豊かな想像力が生み出した事業・製品は多々あるが、その一つノキアは、世界一の携帯メーカーになった。

 

この教育改革が、日本では「ゆとり教育」だったのだが、残念ながら、その本来の意味で日本社会に伝わらなかった。また、各教育委員会や教師たちも、ゆとり教育の本来の意味を租借できなかった。そして現在、文科省は「ゆとり教育」という目標を取り下げてしまった。

 

当時、文科省で「ゆとり教育」の旗頭だった寺脇 研さんは、前川喜平さんとの共著「これからの日本、これからの教育」の中で、「小渕恵三総理」の語ったエピソードとして、次のように書いている。

「君らがやろうとしている、ゆとり教育は、ものすごい逆風にさらされるだろう。従来の考え方からすると、なかなか納得がいかないんだよ。学力が下がったと言われるだろうし、自由・自律とか、ゆとりを持たせるとか言ったら、わがまま勝于な人間が育ってしまって、それこそ、『個あって、公なし』だと言われてしまうだろう。」

「けれど私は、総理の仕事として、個と公は両立し得る。『個あってこそ公』ということを、教育改革国民会議をとおして示していく。中身のほうは、お前たちでやってくれ。私はお前たちをサポートする。

これが、あるべき官邸主導ではないだろうか」と。

 

急死した小渕総理に代わった、森総理や続く宰相は、いずれも小渕総理ほどの才はなかった。

発想法―創造性開発のために (中公新書 (136))世界の教育先進国の教育は、「ゆとり教育」→「自らの学び」に向かって、大きく進化している。

実は「自らの学び」の重要性を指摘したのは、日本の文化人類学者、川喜田二郎氏だったのだ。

50年前、の川喜田二郎氏が「発想法」という本を出版した。同書は、氏が京都大学の学生時代から行った探検データをまとめるために考案したKJ法の集大成だ。KJ法は、社会現象を観察して、収集した情報を整理し、構造化するための手法で、現在は世界中の研究所や企業などに広く普及している。

彼は「長い間、書斎科学・実験科学だけにとじこもっていたわれわれは、″現場の科学″ともいうべき野外科学的方法に眼をむけるときにきている」とし(情報集め→観察→記録→分類→統合)にいたる方法とその応用について、実技と効用を公開したのだ。

このKJ法を、フィンランドや米国でも、自立的学びの手法として、小学校教育から導入している。

 

ところが日本の教師たちは、児童・生徒といっしょに「学びを創る」ことを面倒がる。多くの教師は上から目線で生徒に接する。これは林竹二さんが40年も前に指摘していることだ。

中学校で2千人/年の不登校、高等学校で5、6万人/年の中退者がいるのは、学校の仕組みに欠陥があるからだとは、教師は考えない。

 

【上野村に〈住む・学ぶ・働く〉の統合拠点を創りたい】

一度「ゆとり教育」を引っ込めた文科省が、「ゆとり教育→自立的学び」をすぐに復活させないだろう。が、今こそ「自立的学び」が必要なのである。一般の高等学校がやらないなら通信制高校でやればいい。 

今年、隣村・南牧村にN高等学校(通信制高校・カドカワグループ・在校生6千人)の塾に相当するNスクール計画がある。これとリンクし〈住む・学ぶ・働く・楽しむ〉の統合拠点を上野村に作りたい。

上野村はIターン者にとって入村しやすい環境がる。神流川揚水発電所の工事関係で整備された宿泊施設が遊休化している。ひかり回線が500円/月で利用できる。都内からの交通アクセスも時間・費用共に良い。生涯学習型のITラボ&ハブを上野村に創設する。

日本人のITリテラシーは表層的だ。もっと深いリテラシーを習得するには、インキュベータ(大学のゼミ、あるいはワークショップ)の連鎖を構築する必要がある。各インキュベータは10人程度で構成する。各インキュベータには、ファシリテーターとアドバイザーを配置する。

様々なテーマのインキュベータを生みだし、相互が有機的に繋がる。まるで小さな発酵瓶でないと芳醇な黒酢が醸せないようにである。この仕組みの名称はRnSI (Relational-network of Studying Incubator)とする。

 

この学びを集大成させるのは「コミュニティ」である。モデルは岡檀氏により報告された、旧海部町のような「生き心地の良い町」でなくてはならない。

今後、日本は急速に人口が減っていく。対策にはコミュニティの再編成、外国からの人材受入などが必要だろう。生き心地の良い町を創るには、コミュニケーションが不可欠である。

ところが、学校でそのための学びなどしていない。だからこそRnSIが必要なのだ。

「これからの日本、これからの教育」

寺脇 研さん 前川喜平さんのパネルディスカッションも計画中

これからの日本 これからの教育