神仏に頼れるもの無し

本堂が国宝に指定されている 長野市の善光寺が「7年に一度公開されるという『御開帳』を新型コロナウイルスの終息見通しがつかないとの理由で1年間の延期を決めた」との話。

 

何~んだ。 「全ての宿願」が期待される 仏閣もコロナから逃げた形だ。

コロナの終息祈願を受けるのも「寺」「神」の役目であった筈であろうが・・

 

改めて「神仏に頼れるもの無し」を体験したことを思い起こした。

信じるは 己の経験 と 正しい目標を持つこと のみだ

 

数々の警察相手の裁判を経験し 多くの支援者から 「あそこの神社が ご利益がある」 とか 「どこそこの仏閣が頼りになる」と背中を押され参拝参詣してみたが 殆どが「裁判所の恣意的判断」により「全敗に近い結果」を経験した。

 

これらの敗訴判決以上に我が心を晴らしてくれたのが「テレビ東京」が放映してくれた「群馬県警証拠改ざんの疑惑」だ。

裁判所の判決に負けても テレビ放映されて 今もネット上でみられる 群馬県警による証拠改ざんの事実が 私の心の判決を勝利にさせてくれている。

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さて 善光寺といえば 寛主による女性職員へのセクハラ・パワハラがあったとか一時ニュースになった。2019年の台風19号では千曲川堤防決壊により長野市が予期せぬ水害を受けた。

善光寺の膝元が混乱している状況からみても 改めて「神仏に頼れるもの無し」との心境を思い起こしたのだった。

 

科学が発達した今 「神仏」ではなく 人の賑わいで華やかな神社仏閣は観光巡りで十分だ。