今年も2月16日がやってきた。
私はこの日を「2・16群馬県警 冤罪記念日」と命名している。
2004年(平成16年)2月16日 午前7時50分ごろから同8時過ぎにかけて群馬県高崎市において(下記に序列する)群馬県警察本部 監察課員や交通指導課員等によって「公務執行妨害罪」をでっち上げられた記念日だからだ。
このでっち上げ事件で その一か月後の3月17日に群馬県警・警部補の職を免職処分で首をはねられた事件の発生記念日なのです。
何と今年で17年が経過しました。
下記に記載する面々は この公務執行妨害罪でっち上げ犯人の№Ⅱ であった首謀者設楽兼次が 平成18年10月31日付けで群馬県人事委員会に提出した「陳述書」などをもとに確認できた実在人物であることが証明されているのです。
自信をもって実名を明記して公開するものです。
一連の氏名・役職は(当時のものですが)以下のとおりです。
実名を明記されたご本人ご家族お知り合いの皆様は、群馬県警の行ったでっち上げ事件をどうか思い出して懐かしんでいただきたいと思います。
群馬県警察本部警務部監察課所属
監察官 警視 荒木幸雄
課員 警部 湯本恵一
同 警部補 小林芳夫
群馬県警察本部交通部交通指導課所属
課長 警視 髙田栄治
課員 警視 伊藤孝順
同 警部 設楽兼次
同 警部補 立見 学
同 警部補 土屋 修
同 警部補 登坂幸永
同 警部補 岩渕 恭一
同 巡査部長 渡邊 誠
同 巡査部長 斉藤 充
同 事務吏員 原口 恵
ここでちょっと気がかりなのが 捜査権限のない「事務職」の「はらぐち めぐみ(原口 恵:事務吏員)の存在であります。原口恵の存在だけは強調しておきたいところです。住まいは現・高崎市吉井町多比良であり自宅も知っています。
なお
今年のでっち上げ事件記念日の超目玉は「土屋 修」という存在であります。
何の因果だか たまたま2021年(令和3年)1月27日(水)付けの群馬県の地方紙「上毛新聞」の紙面に 土屋 修の横顔写真と氏名が載っているのを見つけたのです。
記事の内容は藤岡警察署長の代役で感謝状を伝達に行ったとの記念写真だったのです。
なぜ「土屋 修」を特記したいかというと土屋修も公務執行妨害でっち上げ犯の一役を買っていた主要人物だからです。(当時のビデオ映像から取った土屋修の顔写真も どうかご確認ください。)
その土屋修が 生まれ育った地元の藤岡市、ここを管轄する藤岡警察署の地域課長(警部職)になっていて 地域住民をちんけな交通違反で苦しめている「パトカー」勤務員の責任者である(地域課長として勤務している)ということなのであります。
先日も「踏切で一時停止したとかしないとか」ドライバーと問答になり 結局 パトカーの警察側に「一時停止しなかった証拠がなかった」ために「不問」に倒された藤岡警察署所属の悪徳警官らを指揮する立場にあるからであります。
土屋修の実家は 平成の初期までは JR八高線線の路際で小さなたばこ店を営んでいたはずだが、近年は たばこ販売がコンビニやスーパーに殆どが移り個人経営は成り立たなくなって来たようで「たばこ販売店」の電話帳からも今では消え果ているようです。
<この赤文字部分 2021年(令和3年)2月22日 追記しました>
憎き「土屋 修」に関する情報の追加記入です。
平成8年度(1996年)当時の群馬県警察本部 交通部交通指導課員の名簿が手に入った。
憎き土屋修の住所記録も載っていた。この当時の住所「群馬県藤岡市下栗須410番地・電話0274―22―1449」となっていたことが分かった。
ちょっと調べてみた。その当時の 古~い電話番号帳(NTT東日本 ハローページ)の「群馬県 藤岡地区版」から「土屋姓」で辿ってみた。載っていた。
氏名は「土屋道夫」さん。次に「22-1449」。地番が「下栗須410」
と土屋修が勤務先である公務所(群馬県警)に登録した電話番号・住所がNTT発行のハローページ(電話帳)と一致していた。
とりあえず ブログに「追記」は投稿しておくが 近々 同地番を訪ねてみて 現状どうなっているのか 結果はまたこのブログに追加記入したいと考えている。(追記はここまでです)
<再追記 2021年2月27日(土)>
本日住宅地図で土屋修の以前の住所地をたどってみた。
ズバリ「土屋修 410-2」で載っている。
現地を確認しない理由はない。
住宅地図を頼りに現地に行ってみた。
住居人を表示する『表札』は見当たらなかったが 立派な住宅は確認できた。
写真を追加掲載します。
藤岡警察署の地域課長の要職にある『警部職』が
生まれ育った藤岡市、すなわち現職で勤務をする『藤岡警察署』に勤務しているという、
「なんとも厚遇された人事」が見て取れた。
群馬県警の裏金告発警部補の首をはねるのに大役を担った警察官は のちの人事でも厚遇を受け続けていることの実態が浮き彫りになった。
この記事をお読みになった方で『群馬県警 藤岡警察署』に苦情が言いたい方は 『地元居住の土屋修警部』宅にお手紙や電話で改善ご意見を申し入れたら 「警察行政の改善の近道だ」と感じた次第です。土屋修邸と思われる写真と 市販住宅地図の表示をご確認ください。
そんな土屋修が 藤岡市民であった事実を 知らん顔で「地元藤岡警察署の幹部警察官を務めていた」ということであったので 今年の「群馬県警 冤罪記念日」記事に 土屋修を強調しておくこととしました。
それでは土屋修が載っていた新聞記事の写真を紹介するとともに新聞記事も転記してみます。加えて「公務執行妨害でっち上げ事実」の証拠写真も紹介して 17年目の「2・16群馬県警 冤罪記念日」の記念記事とします。ご覧いただきありがとうございました。
2021年(令和3年)1月27日(水曜日)付け群馬県の地元紙・上毛新聞に
御巣鷹管理人・黒沢さん 警察業務協力で感謝状
警察業務に積極的に協力したとして、藤岡署(兵藤義之署長)は26日、日航ジャンボ機墜落事故現場「御巣鷹の尾根」の管理人、黒沢完一さん(77)=上野村=に感謝状を贈った。黒沢さんは2006年から管理人を務め、尾根の整備に尽力している。例年、県警察学校の初任科生らが尾根を慰霊登山する際は、尾根の案内に加えて事故についての講話をするなど協力している。
同署の土屋修地域課長と上野駐在所の岡田太一所長が黒沢さん方の事務所を訪問、兵藤署長名の感謝状を手渡した。土屋課長は「遺族も高齢化する中で整備に努めていただき、大変ありがたい」とねぎらった。黒沢さんは「遺族の慰霊のため、(感謝状)に恥じないように一層整備に頑張っていきたい」と話した。黒沢さんは昨年1月にも、被災した尾根の被害確認などに尽力したとして、県警警備部長名で感謝状を受けた。
という記事だ。
藤岡警察署長の感謝状が 黒沢さんの尾根整備と警察業務協力とどんな関係があるのか理解が困難だ。また、県警に新規採用された警察官どもが給料をもらいながら教養を受けている立場の「初任科生」が慰霊登山して講話を受ける意味がどこにあるのだろう。
日航ジャンボ機「JAL123便墜落の原因究明の責任は群馬県警にあった」のに 黒沢完一さんを引っ張り出して 警察が感謝状を贈呈したと地元紙に県警の平民ぶりをアピールするに使ったに過ぎないパフォーマンスだと解釈してしまう。
黒沢さんに感謝所を送るより 新聞記事にもある「例年、県警察学校の初任科生らが尾根を慰霊登山する」。
この際に慰霊碑を洗う警察官の卵どもの写真を新聞に載せるより 黒沢さんの行う「尾根の整備」でもさせてみてはどうだ。
その方が黒沢さんの苦労が警察学校初任科生の連中の肝にも焼き付くだろうし 当時の県警捜査員・捜索隊員の苦労が想像できるだろう。
群馬県警も空の事故は無縁ではない「県警にもヘリ」がある。群馬県の防災ヘリは墜落して9人もの死者を出している。
悲惨な交通事故から人命を守る魂の植え付けにも役立つであろう。 (結)
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